リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)
「ティル・オイゲンシュピーゲルの陽気ないたずら」作品28
エーリッヒ・クライバー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1930年録音
エーリッヒ・クライバー(1890-1956)は、
あのカルロス・クライバー(1930-2004)の父親です。
両者の写真を見ていると、目元なんか似ていますね。
僕は、エーリッヒ・クライバーの演奏はいままで聴いたことがなくて、
彼の名前を聞くとつい思い出すのが、有名な一枚の写真です。
いつの撮影でしょうか?多分1920年代?
トスカニーニを中心にワルター、クレンペラー、フルトヴェングラー、
そして一番小柄ながら眼光鋭いのがエーリッヒ・クライバー。
トスカニーニが1867年、ワルター1876年、クレンペラー1885年、
フルトヴェングラー1886年、そしてクライバー1890年生まれ。
20世紀を代表する巨匠たちです。このまま第二次世界大戦がなければ、
この巨匠たち中心にどんなクラシック音楽の歴史が展開していたことか。
まさに憎むべきはヒトラーであり戦争です。
このリヒャルト・シュトラウスの録音が行わた当時は、
フルトヴェングラーがベルリンフィルの常任指揮者で、
彼は、ドイツ音楽界の権力を掌握していた時代でした。
記録では、クライバーは24年から毎年、ベルリンフィルに招かれていました。
当時のクライバーは、リズムにすぐれた天分を閃かせ、
颯爽した演奏が売りだたようです。
このリヒャルト・シュトラウスも明快な好演です。
しかし、この5年後の1935年、ナチス統治下のドイツを嫌い、
南米ブエノスアイレスに移りました。
そして1939年に第二次大戦が始まったため、そのままドイツに帰らず、1947年まで中南米各地で活動を続けました。
彼が、ヨーロッパに戻ったのは1948年のこと。
しかし、ナチスに反旗を翻し、南米に去ったクライバーは、その時は、
英雄だったけど、戻ってみると周りは冷たかったようです。
結局、その才能に比してなかなか十分な活躍が出来ずにいましたが、
56年ウィーンフィルとのアメリカツアーを前にして惜しくも病没しました。
ただ、英デッカを中心にそこそこ名演が残されているので、
それがせめてもの救いです。
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