こんにちは、
ともやんです。
ウィーンに生まれ、ウィーンで世を去った作曲家アルバン・ベルク(1885-1935)の最後の作品が、ヴァイオリン協奏曲です。
「ある天使に捧げる」という献辞が標題になっています。
俗に「マノンの鎮魂歌(レクイエム)」とも呼ばれています。
それは小児麻痺のため18歳の若さで亡くなったマノンという少女を悼んだ書いた作品だからです。
マノンは、グスタフ・マーラーの妻だったアルマと再婚相手の間に出来た娘でした。
さて、ベルクのヴァイオリン協奏曲について、諏訪内晶子さんの若き日の自身のエッセイでその体験と思いを綴っています。
ベルク ヴァイオリン協奏曲とクラスナーと諏訪内晶子と
諏訪内晶子さんが、1995年書き上げ、2000年に一部加筆してNHKライブラーから出版された自伝的エッセイ「ヴァイオリンと翔る」を興味深く拝読しました。
その第5章「音の彼方にあるもの さらなるヴァイオリンの音を求めて」に内容は、知的好奇心をかきたてる内容です。
その中で、1995年4月中旬、諏訪内さんがピアニストと二人でボストンに住むクラスナーの自宅を訪ねたことが記されています。
クラスナーは、1903年6月21日にウクライナ生まれ、5歳の時に家族とアメリカに移住しています。だから諏訪内さんが訪ねた時は91歳という高齢でした。
自宅を訪ねると車いすを夫人と迎えてくれたそうです。
そしてベルクのヴァイオリン協奏曲について訪ねたことを告げると、ピアノのある自室に案内され、まず、モーツァルトの曲を弾くことを依頼されました。
クラスナー曰く、モーツァルトを弾けないとベルクは弾けないということだそうです。
諏訪内さんたちが5分ほど演奏した後、諏訪内さんのモーツァルトに納得されたクラスナーが、作品について語りだしました。
その辺の詳細は、ここでは割愛します。
ぜひ、本で確認ください。文筆家としてもセンスある諏訪内さんの文章で読んで頂きたく思います。
↓
「ヴァイオリンと翔る」諏訪内晶子著
なお別れの際、クラスナーは、諏訪内さんがベルクのヴァイオリン協奏曲を弾くことが決まったら、再訪して欲しいと告げています。まだまだ伝えたいことがあるということです。
お互い、再会の約束をして別れたそうです。
しかし、結局この訪問の約3週間後の5月4日に帰らぬ日となりました。
当初諏訪内さんは、2月頃の訪問を考えていたそうですが、それは様々な事情で4月中旬になったそうです。まさに運命的な出会いだったのかもしれません。
そんな初演者のルイス・クラスナーの独奏によるベルクのヴァイオリン協奏曲の録音が残っています。指揮はフリッツ・ブッシュ。
録音は、多分1938年から44年の間ころだと思います。
というのもクラスナーは、44年からはソリストとしての活動は止め、オーケストラのコンサートマスターを務め、その後は大学で教鞭を取る生活をされていました。
ぜひ、聴いて頂きたい歴史的名演です。
クラスナー ベルク ヴァイオリン協奏曲
アルバン・ベルク – Alban Berg (1885-1935)
ヴァイオリン協奏曲
Violin Concerto
total(25:14)
ルイス・クラスナー – Louis Krasner (ヴァイオリン)
ストックホルム王立歌劇場管弦楽団 – Stockholm Royal Opera Orchestra
フリッツ・ブッシュ – Fritz Busch (指揮)
名指揮者フリッツ・ブッシュの1938年から49年の貴重な録音を収録したCDです。
クラスナーとの共演は、CD情報には特に記載されていませんが、1938年から44年の間と思います。
ちょっと幅がありますが、録音年が分かれば修正を加えたいと思います。
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